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 ホーム  >  「新潟県のあゆみ」を読む  >  第5章 近代国家の形成と新潟県  >  第ニ節 自由民権運動と県政  >  ニ 県会と県政  >  信越鉄道敷設運動

第5章
近代国家の形成と新潟県
第ニ節
自由民権運動と県政

県会と県政
信越鉄道敷設運動
 明治十五(一八八二)年九月、高田町のむろ孝次郎・大井茂作・矢沢鋼四郎らは、長野県の有志とともに直江津・高崎(群馬県高崎市)間の鉄道敷設を目的とする会社の設立を計画して、高田の本願寺別院で発起人総会を開催した。このとき出席した六一人の発起人は、上越地方の地主・商人などの有力者であった。中心になった室孝次郎は、新潟県の発展には鉄道敷設が必要であるとする強い信念から西頸城郡長をやめて信越鉄道敷設運動に専念、上京して運動を行った。このころ政府は高崎-大垣(岐阜県大垣市)間の中山道なかせんどう幹線鉄道敷設を決定し、十一月から高崎-上田(長野県上田市)間の測量を開始したが、この影響を受けて中・下越地方でも鉄道会社設立の動きが出てきた。十七年三月二十三日、県会議事堂に中・下越の県会議員、大地主、商人など七〇余人が集まって、新潟県を貫通する鉄道敷設を目指す北越鉄道会社の設立を決めている。
 室らは明治十七年四月、政府に対して、信越鉄道会社の認可と鉄道敷設の請願を行った。しかし官設による鉄道敷設を推進していた政府は、許可しなかった。このため、十八年十月高田で開催された信越鉄道会社創立発起人第三回総会は、四年間にわたって続けられた信越鉄道敷設運動に終止符をうった。
 政府による直江津-上田間の信越線の敷設工事は、明治十八年七月直江津側から開始された。翌年八月には直江津-関山(妙高村)間(二九キロメートル)が開業し、新潟県最初の鉄道が誕生したのである。
 このころ、新潟県と関東地方を結ぶ清水越しみずごえ新道開削工事も進み、明治十八年九月七日清水峠で盛大な開通式が行われた。また、これと前後して県内主要道路の改修工事が始まり、苦心のすえ米山よねやま峠・親不知おやしらずなどの難工事を完成させた。

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